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戦争の背後にあった名もなき人々の営み。この世界の片隅に私を見つけてくれてありがとう!

戦争の背後にあった名もなき人々の営み。この世界の片隅に私を見つけてくれてありがとう!

原爆ドーム


毎年、8月になると、平和を考えるセミナーやイベントがあちらこちらで開催されます。
それらを主催している人たちの多くは、戦争を知らない戦後世代の人たちです。


私が小学校へ上がる手前ぐらいの時期に、親から10円のお小遣いをもらってよく通った駄菓子屋の店主は、フルカワさんという右腕の無いおじさんでした。フルカワさんは気さくで子供たちに人気のある人でした。

私の子供時代、そういう片足や片腕の無い大人たちを、ご近所や街でしばしば見掛けました。義足のおじさんが毎日一人で路線バスに乗って職場に通勤する姿も見ました。
親が「あれは戦争で・・・」と教えてくれましたが、当時の私にはピンときませんでした。

この世界の片隅に

あの大人たちの過去に何が起きていたのか、私がピンとこなかった理由は、自分がまだ幼かったからだけではありません。
片足や片腕のない大人たちに悲壮感が無かったのです。むしろ、戦時中を生きてきた人たちが、若い人たちよりもたくましく見えました。
厳しい時代をしっかりと生きたことを、人生の歴史の1ページとして誇らしく考えていた人たちが多かったように思います。

そしてあの頃は、国民の祝日になると玄関先に日の丸の国旗を掲げる家が多かったのを覚えています。私はそれを見て、お祭りの日みたいで楽しいと感じていました。
戦争を経験してきたあの頃の大人たちは、自分が日本人であることに誇りを持っていたのです。
あの頃に子供だった戦争を知らない人たちが今では結構な年齢の大人になっていて、その中には日の丸は戦争の象徴だと言う人たちが沢山いて、祝日に国旗を掲げる家は最近はあまり見られなくなりました。


戦争なんて、無い方がいいに決まっています。
しかし、あの時の日本には、戦争を回避する手段があったのだろうか?
もしあの戦争を回避していたら、あの時代を生きた日本人は幸せに暮らせていたのだろうか?

何も知らない戦後生まれの私たちが、あの時代を生きた私たちの先祖に対して、日本は間違っていた、あなた方は国家に騙されていた、あなた方は無駄死にしていった人たちだ、などと無責任なことを何故言えるのでしょうか?

ちょうど今、私たちの身近なところで、北朝鮮情勢が物騒なことになってきています。
北朝鮮は日本を焦土化すると脅かしてきています。
万が一、北朝鮮が暴走を始めたら、日本には戦争を回避する手段があるのだろうか?
もし北朝鮮と日本の自衛隊とが戦闘状態になったら、やはり平和主義者たちは「平和憲法がありながら、また日本は間違いを犯している」と批判をするのだろうか?

火垂るの墓

日本人が作った戦争をテーマにした映画やアニメが沢山あります。
私が見た中でストーリーの内容が最もショッキングだったのは、アニメ「火垂るの墓」でした。

あの物語には最後まで救いがありません。
戦争孤児になった幼い兄弟が、社会から救いの手も差し伸べられずに悲しい末路をたどっていく物語です。

日本人は昔から助け合って生きてきた民族であるはずなのに、あの時代の大人たちは皆、哀れな子供たちをあのように見殺しにしていたのだろうか? いや、人の心をそこまで冷酷にしてしまうのが戦争なのだ。だから戦争は間違っているのだ。・・・現代に生きる私たちがそのように教育される作品だったような気がします。

アジアとアフリカのほとんどが欧米の植民地で、現地の人たちが欧米人たちの奴隷として冷酷に扱われ、また虐殺されていた時代。
日本も石油の供給を遮断されて、街に失業者があふれ多くの餓死者が出ていた時、日本は一か八かの戦争を選択しました。

戦うも地獄、戦わざるも地獄でしたが、結果として日本は戦って敗れ、多くの戦争孤児が生まれました。
戦争に負けた日本の政府に孤児たちを救う能力はありませんでした。

もし今、アメリカが北朝鮮に軍事攻撃を掛ければ、おそらく北朝鮮で長い間虐げられていた下層部の人々が解放されることになるでしょう。日本人の拉致被害者も戻ってくるかもしれません。
しかし、そのプロセスでは大きな犠牲を払うことになる可能性もあります。
人類は常に、そういう究極の選択に直面しながら歴史を作ってきました。
そして、どんな歴史の背後にも、名もなき人々の悲哀と感動に満ちた日々の暮らしがあります。

この世界の片隅に

「火垂るの墓」とは印象がかなり異なるアニメがあります。「この世界の片隅に」です。(2016年公開のこの作品は、現在Googleプレイで購入することができます。)

物語の舞台は、あの広島です。お見合いをして広島市から呉市に嫁に行った女性が主人公です。
このアニメは、今までの戦争をテーマにした作品とは全然違いました。

この作品には反戦思想は流れていません。また、観る人たちを強制的に泣かせてやろうという意図もないように思います。
しかし、じわじわと泣けてくる物語です。
それは、悲しくてというよりも、人が生きるという事がこんなに力強くて美しいものなのかと感じて感動の涙が込み上げてくるのです。

身近な人たちや大切にしていたものが次々に失われていった時代。
呉に空襲が起きると、焼き出された人たちのために広島から大量のおにぎりが届く。広島に原爆が落ちると、今度は呉の人たちが救援に向かう。
これは「火垂るの墓」に描かれていた人情味のひとかけらも無い世界とは全然違うではないか。
どちらのアニメに描かれた世界も、あの時代には現実にあり得たと思います。しかし、今に生きる私たちが、これからどちらの世界を向いて生きていくのかが問われるのです。

どんなに厳しい環境の中でも、人は強く生きていく。日々の営みを止めることはなく、今日も明日も明後日も女たちは飯を炊く。
名もなき女性たちの戦中戦後の生活が描かれている物語ですが、夫として主人公の女性に寄り添う実直な男性の存在も光っています。

「ありがとう、この世界の片隅にうちを見つけてくれて」
・・・主人公の女性が発するこの言葉が登場するのがラストシーンです。

この世界の片隅に

今あなたの隣に居るパートナーも、過去にあなたと共に生きたパートナーも、この広い世界の中であなたを見つけてあなたを選んでくれた尊い人です。
そんな相手が自分にもいたことを意識するだけで、有難いと思いませんか。
そういうことが、肉体の無いあの世の「愛」だけの世界では体験できなくて、ここに生きている人間だけが体験的できる「愛情」の世界です。

例えすべてを失ったとしても、明日の希望を見失わず、小さな幸せを見つけながら人は生きていく。
世界が真っ暗闇になったとしても、その中から光を見つけて人は感動する。
・・・それが人間の自然な姿であることをこの物語は語っています。

(やしろたかひろ) 


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