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【マリア像の涙】喜怒哀楽のうち、命の輝きを象徴する最も美しい感情は「哀」

【マリア像の涙】喜怒哀楽のうち、命の輝きを象徴する最も美しい感情は「哀」

「喜怒哀楽」は、人間の代表的な四つの感情とされています。
特に日本人は、「もののあはれ」(物の哀れ)という古語があるように、昔から「哀」の情緒を大切にしてきました。

あはれ をWeblio古語辞典で引くと、以下のように記述されています。

あはれ

[名詞]
① しみじみとした趣。しみじみとわき上がってくる気持ち。
② 寂しさ。悲しさ。
③ 愛情。人情。情け。

[文芸]
平安時代における文学の基本的な美的理念。深いしみじみとした感動・情趣をいう。のち、しだいに日本文学の美の根幹として発展し、調和美・優雅美・静寂美・悲哀美などのさまざまな内容を持つようになった。

三千院

つまり、「哀」とは、寂しさや悲しさ、愛情、人情、そして美意識までが包括された感情を言うのです。

花が散ったり枯葉が落ちたりするのを見て、寂しさと美しさとが入り混じった風情を感じる。
困っている人を見て、相手の心情を察して手を差し伸べる。
人の死に直面して、別れの辛さと命の儚さを感じて涙を流す。
……これらすべてが「哀」です。

「哀」という感情は、人間が持つ豊かなイマジネーション力と深く関わっています。特に日本人は四季の自然の移ろいが身近に感じられる風土の中で暮らしていたからこそ、このような情緒が豊かに育ったのでしょう。


現代スピリチュアルは、「愛」や「感謝」という言葉に象徴される宇宙意識にフォーカスします。
スピリチュアルで言う「愛」は、恋愛や寵愛の愛とは少し違いますし、愛郷や愛国の愛とも違います。もっと大きな概念です。
「感謝」は、自分に親切にしてくれた人だけではなく、宇宙のすべての現象に対して抱く概念を言います。

一方で現代スピリチュアルは、人と人との間で繰り広げられる「哀れみ」や「思いやり」といった人間意識についてはあまり重要とは考えていないものが多いように思います。
例えば、「肉体は滅んでも魂は生き続け輪廻転生を繰り返しながら成長していくのだから、人の死は祝福してこそ悲しむべきものではない。」と言います。

輪廻転生はあるという考え方を前提にしたとしても、人の死は哀れんだり悲しむべきものではないという捉え方は、果たして正しいのでしょうか?


喜怒哀楽の中で「怒」と「哀」の二つは、人間の肉体が有限であることの認識から生じる感情で、死を意識していなければこれらの感情は生まれにくいのではないかと思います。

「怒」は、恐れの裏返しであり、自己を防御する反応として起こる感情です。地球上の多くの生物にこの感情があります。

「哀」は、命の尊さを思う意識から起こる感情です。一部の動物にもありますがそれらは限定的で、人間が最も発達しています。
人が自分の命を輝かせて太く生きようとするのは、「哀」の感情から発しています。

したがって、おそらく肉体の無い魂の世界には「怒」と「哀」は存在していないのではないでしょうか。

「怒」は生物の自己防衛反応として必要な感情ですが、人間の場合には「哀」とのバランスを保つ必要があります。
戦争は、人間の感情が「怒」に偏って「哀」が欠落した状態の時に起こります。

このように考えると、私たち人間は「哀」が存在している世界を体験するためにこの世に生まれてきているのだ、と言っても良いと思います。

秋田湯沢台 聖母マリア像

すなわち、「哀」とは魂の欲求から生じた人間として大切な感情です。そしてここには、有限の命を生きることに対する美意識が内包されています。

したがって、愛する人の死に直面した時、その人の魂の新たな旅立ちを祝福しつつも、別れの辛さで悲しみに浸るのは正常です。
ポジティブシンキングを演じて、悲しみの感情を無理に抑圧すべきではありません。
悲しくなったり寂しいと感じたら、思いっきり泣いて良いのです。思いっきり泣き尽くして、最後に執着を手放せば良いのです。
心から悲しむことの出来る人は執着から解放されやすいので、「喜」と「楽」に到達することも容易です。
私は泣き虫な人が大好きです。泣き虫の人は美意識の高い人であり、人として美しいと思います。

日本の秋田湯沢台にある聖母マリア像(写真)が本物の涙を流していて、バチカンから奇跡の認定を受けているそうです。
おそらくこれは、高度な宇宙存在が私たちに「哀」の大切さを教えるために起こしてくれている現象なのではないかと私は考えています。


なぜ戦争は無くならないのでしょうか。なぜ宗教絡みの戦争が尽きないのでしょうか。

魂は永遠であることを学び、人間の神性を学び、普遍の愛や感謝について学ぶことは価値があると思います。
しかし、地上の現実を変える直接的な力は神性ではなく人間業です。

白旗の少女・比嘉富子

宇宙の法則なんて知らなくても、何を信仰していなくても、生と死というこの世の現実と向き合いながら日々の営みを送っている、ごく普通の人々の内側から自然と湧き上がってくる哀れみや思いやりの心、他者の人生の悲哀に共感して涙する心こそが、世界を平和にするのではないでしょうか。

愛や感謝の言葉を口に出すことも大切です。しかし、かつて言霊や祈りの力だけで世界が平和になったことはあるでしょうか。
あなたが発するその言葉に、どれだけ取り繕いや建前や飾りのない心が込もっているかが問われるのです。
人間意識である「哀」を源とする偽りのない真心が、人間の自然な行為と連動します。

「哀」を抱くことの出来ない者が本物の「愛」を知ることは出来ない。
これが、マリア像の涙が伝えたかった真意なのではないでしょうか?

世界の支配者たちに必要なものは信仰ではない。「哀」です。
「もののあはれ」を感じることの出来る人を育てる教育が必要です。


メビウスの輪を意味する8月8日は、異なった次元のゲートが開く日。すべてのもののバランスを取り、中庸意識を育てる日です。

(やしろたかひろ) ※Facebook友達募中


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